そして今やすっかりと有名になってしまったのが、この三内丸山遺跡だ。ちなみにこの遺跡は最近になって発見されたものではなく、江戸時代から知られている遺跡であり、これまで慶応義塾大学、青森市教育委員会、青森県教育委員会等によって発掘調査が行われていたところである。 それが平成4年から6年にかけて、県総合運動公園拡張整備計画事業に伴う野球場建設予定地内の発掘調査を行った際、縄文時代前期から中期(約5,500年前〜4,000年前)にかけての多くの貴重な遺跡群や多数の遺物が相次いで発見され、日本考古学史上例を見ない巨大な縄文時代集落である事が明らかになったのである。 このため、青森県では、野球場等の建設を中止するするとともに、周辺を含めた約38haを保存し活用していくことを決定した。(現地の建て看板より) 当時、地元ではせっかくできかけた野球場の工事を続けるのか、それとも思い切って工事を中止するのか。とかなりもめたようであるが、中止して本当によかったと思った。 著者は1996年GWに見学へと出向いた。写真のように遺跡群はちょうど復元の真最中であった。新聞、雑誌であれほど見た例の竪穴などは、全て雪による腐蝕を防ぐため埋め立てられており、正直今一つぱっとしなかった。がしかし広大な広さを利用して、目玉になるであろう高見櫓等のの全ての建物が復元されればは圧巻なものとなるであろう。(96/5/10) |
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前回の取材から2年後の1998年、GWに再度現地へいってみた。復元はほぼ完了しており、縄文時代の「むら」を体験できる公園としての整備が着々と進んでいた。来訪者もかなりの数のようである。今回はボランティアのガイドさんの説明も聞いてきた。尚ガイドは予約不要で、シーズン中は30分に1回とかなりのサービスぶりである。園内の展示館もだくさんの発掘物が展示されており、これだけでもなかりの充実ぶりである。竪穴遺跡を直接地表に出してしまうと、冬季の雪や雨にさらされて保存できない為、基本的には全て埋め直されていて実際に見る事はできない。しかし、代表的な穴は、ドームで囲ってちゃんと見学できるので、遺跡だ。ってのを実感できると思う。 復元建造物では、例の巨大な掘立柱建物も完成していた。想像案の一つを取り上げ復元されていた。実際に見ると高さ16mととにかくでかい。なんせ見つかった竪穴が、直径2m、深さ2mととにかく大きいんだもの。なお、園内にある資料室には、他の復元案も紹介されているが、果たしてどれが正しいのだろうか....。(98/5/5) |